2010/12/27
常陸那珂名所紹介、勝田中根の虎塚古墳と古墳群

ひたちなか市でもっとも有名な遺跡、全長56.5mの前方後円墳「虎塚古墳」です、綺麗に整備保存された虎塚古墳は年二回の一般公開日に石室内部施された幾何学紋様を見ることが出来ます、因みにひたちなか市で最大の古墳はひたちなか市磯崎にある全長約90mの「川子塚古墳」です。
写真:美しく整備された虎塚古墳の全景。

写真:前方後円墳なのがよく分かる、奥が石室のある円墳。

写真:ひたちなか市埋蔵文化財調査センター、森の奥に虎塚古墳がある。
camera : CANON EOS30D EF-S17-85mm
虎塚古墳に関して詳しいことなどは今では検索していただければ細かく判りますので省きますので他の話をします。
■虎塚古墳 - Wikipedia■虎塚古墳をGoogleで検索するこの虎塚古墳には特筆すべき事があります、それは石室壁画の保存状態が優れていることです、虎塚古墳発掘の前年に高松塚古墳が発掘されその優雅な石室壁画が発見されましたことはご存じかと思います、高松塚古墳の石室を開封してしまってからその保存法をどうするか議論されましたが、石室開封前の環境状態が判らないままで石室発掘してしまったため、石室開封前の環境状態サンプルが欲しいとのことで、適当な未開封石室のある古墳として知られていた虎塚古墳に白羽の矢が立てられたそうで、いざ石室に調査用の穴を開け中を見たところ未発見の彩色石室が姿を現したそうです。
近年、高松塚古墳やキトラ古墳の壁画にカビが生えその保存方法が大きな問題になりましたが、最初から保存環境を調査してから石室開棺した虎塚古墳は現在でもかなり石室内部の保存状態が良くベンガラ彩色石室は微細な自然劣化以外は損傷等が全く見られないそうです。
『虎』?
さらに虎塚古墳に関して少し調べているうちに有ることでつまずきました、なぜ「虎塚」なのかです。
『虎』はそもそも女性に与える名前です、滋賀県にある蛇の子を産んだ虎姫様伝説、曽我物語でおなじみの曾我兄弟の恋人で虎御前など『虎』は女性なのです。
ではこのあたりにも巨大な墓に埋葬されるほどの『虎』と呼ばれた豪族の女性もしくは身分お高い女性が居たのでしょうか?あるいは何らかの女性『虎』を祀った塚として近年になって呼ばれるようになったのでしょうか?
聞いた話では虎塚古墳発掘の時にも「虎塚」に埋葬されたのは女性ではないかと期待されたそうですが、埋葬されていたのは男性であることが判りました。
つまりこの「虎塚」はこの地方における何らかの「虎姫様伝説」が言い伝わったのではなかということです、時間があれば調べてきたいと思います。
おまけ
さて、これは今から十何年か前に私がホームページ上に書いた文章です。
勝田駅から南東へ4キロ程、ひたちなか市中根のはずれに「虎塚古墳」が有ります。
ひたちなか市は弥生時代から古墳時代にかけての埋蔵文化財が多く出土しているのですが、
特に中根、馬渡、三田からは、貝塚、土器、埴輪が多く出土しています。
昭和48年ここ「虎塚古墳」発掘調査で「ベンガラ」で色彩を施された石室が発見されて、一躍話題になりました。
虎塚古墳はかなり以前から判っていたそうなのですが、ベンガラで色彩を施された石室は関東ではたいへん珍しく第一級の遺跡なんだそうで、ひたちなか市一の遺跡になってしまいました。
それよりもなによりも、一番びっくりしたのはこのわたしで、なにしろこの「虎塚古墳」 は小学生の頃の遊び場なんですから、とうぜんここが貴重な前方後円墳だなんて知る由もなく、
当時は近くの史跡「十五郎穴」に行くのがくそがきたちのならわしで、途中の林の中にある手頃な二つの山が当然遊びの「基地」と化していました。
ベンガラで色彩を施された石室は毎年春(4月下旬~5月上旬)と秋(10月下旬~11月上旬)の二回一般に公開されています。
すぐ北側の林の向こうに近年「ひたちなか埋蔵文化財調査センター」があります、一般公開の時期等はここへ問い合わせてみると判るでしょう。
JR常磐線勝田駅から ひたちなか海浜鉄道湊線乗り換え、中根駅下車徒歩約25分
北関東自動車道ひたちなかインターから車で約10分
「ひたちなか埋蔵文化財調査センター」
029-276-8311 ひたちなか市中根3499
96'12/05
虎塚古墳に基地の穴掘ったのは私です「ごめんなさい」
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